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坪井の位置

 「坪井」は地理的、歴史的にどんな位置と正確を持つ地域なのか、少しだけ踏む込んでみるとおもしろいかも知れない。

(2)地図

地図(全体図)  概ね、「坪井地区」と呼ばれる地域を左図に表示している。
 昭和30年(1955年)から「坪井町」と呼ばれていた地区は、平成22年(2010年)2月1日から実施された住居表示の実施地域が「坪井東」および「坪井西」と表示され、未実施地域は「坪井町」のままという奇妙な状況となった。左図のほぼ中央から上(北部)が「坪井町」、下(南部)の内、右半分(南東部)が「坪井東」、同左半分(南西部)が「坪井西」とみていただければ概ね通じるだろう。必要に応じて、旧坪井町全域を「坪井地区」と呼んで使い分けることにしたい。
 住居表示が実施された南部は「船橋美し学園 芽吹の杜」として一気に開発されたエリアを含み、新しい家屋が林立して急激に人口を増やしている。住居表示の実施に先立ち、地名に関するアンケートが実施された結果、最多得票だったのは「芽吹の杜」であったが、一部住民から反対意見が出され、現状に至るという(未確認ながら、地元では多くがそのように語る)。

 もう少し解説を加えると、西は松が丘(船橋市)、北は古和釜町、東は八千代市と境を接し、南は習志野台(船橋市)となる。南側については、現実には日本大学理工学部船橋キャンパス、同大薬学部、同大付属各校が拡がっている。因みに、東西に横断する東葉高速鉄道の最寄り駅は「船橋日大前駅」という。建設段階では仮称「坪井駅」と紹介されていた。駅建築に際して説明会が前述の理工学部構内で行われて分かったのだが、この駅は土地を日大が拠出して、駅の設計も日大が行っている(施工については不詳)。これでは「日大」の名前が入れなければ罰が当ろうというものだ。ちょっと凝ったデザインの駅で、第1回の「関東の駅百選」他に選定されたと宣伝されている。

 うっかりしていたのだが、ここでは河川が南から北に流れている。江戸川も利根川も北から南へ流れて太平洋に注いでいることを念頭に置くと、逆流している感覚だが、木下街道に沿うように印旛沼に流れているという訳だ。

 [注] 地図 : 国土地理院への承認申請を省略できるサイズのラスタ形式で表示


 

登録[2010/06/27] - 更新[2010/07/11]