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坪井の民話

 小学生の頃に引っ越してきて、大人になった子供たちが言うには「坪井には、それなりに歴史があるんだね」とのこと。何を言い出したのかと訝ったのだが、つまり、越してくる前の土地は、百年も遡ると海の底になってしまうので、特に歴史を感じない。そんな土地との比較だった。

坪井小学校遠景  この「坪井の空から」を編集していると、もう少し歴史的な資料が残っていて欲しいと感じる。坪井には相当古い時代から人々が住んでいたのは確かだが、その痕跡が文化財や書籍という形で多く残っている訳ではないのだ。そんな痕跡を探して、文献を検索をしていたところ、「船橋の民話」という書籍が見つかった。早速図書館で閲覧したところ、嬉しいことに、坪井の民話が2つ掲載されていた。ここで紹介したいところだが、著作権の問題をクリアできそうにないので、概要のみを紹介することにしよう。
 見出しだが、一つは「坪井の雨降田」、そして、もう一つが「有り難い乳清水」である。前者については、以前に耳にしたことがあった。

 「坪井の雨降田」というお話は、田んぼに埋没してしまった地蔵菩薩のお話。

 そんなことになったのは、坪井のお城が襲撃された時、そのそばにあった御堂も火事になったためだという。村人は地蔵菩薩を探してみたが、結局は見つからず、そのかわりに板碑が出てくるといった内容だった。お城や、近くに谷津があることは事実だが、現在、坪井には田んぼらしい田んぼがないような気がする。実は探してみたことがあり、その結果、古和釜や大穴には田んぼがあるが、どうした訳か、坪井にはないのだ。厳密には、古和釜との境界が不明確なのだが、駒込川沿いにある田んぼが坪井側かも知れないという程度だ。
 因みに「雨降田」とは、現在の調整池北側の坪井川沿いで、桑納橋との中間点にあったらしい。田んぼはなく、ただ深い湿地状態であったが、川として体裁が整えられようとしていた。

坪井小学校遠景 坪井小学校遠景  「有り難い乳清水」というお話は、坪井に嫁いできた嫁と水が湧く清水のお話。

 子供が産まれたが、どうも乳の出が良くない。嫁は信心深くて、村の子安講に通っていた。その嫁が清水を飲んだところ、乳の出が良くなったという。このお話にも、やはり谷津が登場する。
坪井小学校遠景  調べた限り、登場する後谷津という地名は判然としない。しかしながら、別に調べると清水塚と清水下という小字がある。前者は坪井中学校の近辺だ。確かに、あそこは土地が低かった。後者は松が丘との境界で駒込川の上流に当たる(駒込川は後川と呼ばれていたらしい)。こうした小字を調べるのが有効な手段かも知れない。現在は田んぼがないけれど、辺田や前田、宮田という小字が見つかるので、それなりに田んぼはあったのだと安心した。
 補足だが、子安講とは、若い既婚女性たちが集まり、子安神を祭って安産を祈る行事である。集まっていたのは本村の子安神社であったと考えるのが穏当であろう。

 

登録[2011/11/18] - 更新[2015/09/21]

使用しているのは、全てイメージ写真である(編者撮影)。シロサギが飛んでいる田んぼの位置は、残念ながら、八千代市に踏み混んでしまっている。