HOME入口へ坪井の歴史 ≪ 時空比較 (4)航空写真で見比べる風景

時空比較

 「坪井」は地理的、歴史的にどんな位置と正確を持つ地域なのか、少しだけ踏む込んでみるとおもしろいかも知れない。

(4)航空写真で見比べる風景

 少しずつ撮影時期の異なる航空写真があるので、同じイメージに加工してみた。とてもわかりやすくて、直感的に比較することができそうだ。

坪井地区航空写真(1) 坪井地区航空写真(2) 坪井地区航空写真(3)  

[注] 航空写真は撮影時の対地角度により縦横比が変化するので、画角調整として若干の縮尺調整を施している。

 右側の写真は「源七山遺跡」に関わる資料の一部を使用させていただいたもので、撮影は1998年。中央は、撮影時期が正確には分からないが2003年前後ではないかと思われる。そして、右側は既に公民館の姿がある2011年春の撮影である。
 「船橋日大前駅」の南側ロータリーが分かりやすい丸い形状をしている。その上、つまり北側には東松が丘地区(坪井東一丁目)があるが、この地区は、東葉高速鉄道の「坪井駅(仮称)」が建築されるという青写真の段階から造成が進んで、少し強引な感じで出来てしまった住宅地だ。そこから右(東)側には広大な雑木林と湿地があり、更に八千代市に隣接するやよい地区(坪井東五丁目)までは建物もなく、隔絶されたような状態であったことがわかる。

 中央の写真のように樹木が伐採され、基礎的な造成工事が進み、道路ができはじめると、先行して開発が進んでいた八千代緑が丘の街まで新しい駅から歩いていくことができる距離であることを実感することになる(笑)。この段階では、ビオトープとして作られた調整池が何となく分かり、近隣公園は未整備、とんがり屋根の駅舎は形があるようだが、周辺は赤土ばかり。当然ながら、スーパーもコンビニも駅前の医療タウンも全く姿がない。
 やよい地区との間に最初に建築が始まった住宅群が見えている。敷地が広くて、屋根には太陽光発電パネルが光り、とてもリッチな住宅群だったので、こちら側に引っ越そうかと真剣に考えたものだった(笑)。
 右側の写真に目を移すと、一気に住宅建築が進んだことが分かる。それでも、近隣公園の周辺は赤土の状態だが、2011年夏以降に撮影した写真があれば、ここも住宅群で埋まっているという訳だ。

 こうしてみると、中央を南北に貫いている道路は、あえて直線道路として作らなかったことがわかる。なんらかの事情があったのかも知れないが、半分は意図的なものなのだろうと推測している。これを、おもいっきり真っ直ぐに作っていたら、暴走と事故が頻発していたことだろう。現在でも、相当のスピードで走り抜けるクルマが多くおり、なんとも危険な状態になっている(まぁ、このお話は別のページで展開する予定だ)。
 このように「坪井の森」は消えていった訳だが、本当にこれでよかったのか分からない。それを語っても、新しい街ができることをキッカケに越してきた一人としては偉そうなことは言えないだろう。

 

登録[2011/10/28] - 更新[2011/11/16]

約12年以上の時間を超えて撮影された航空写真 : 出典・写真左(千葉県教育振興財団文化財センター資料) : 写真中央および右(Google Earth)

 

[注] 写真を同じ位置の枠に当てはめて切り取る必要上、クレジットを入れることができなかったが、出典を明記する。