時空比較
「坪井」は地理的、歴史的にどんな位置と正確を持つ地域なのか、少しだけ踏む込んでみるとおもしろいかも知れない。
(3)ゆっくりした下り坂の風景
左の古い写真では、ゆっくり下って行き、途中から右にカーブして、少し坂が急になっていることがわかるだろうと思う。この辺に野球の練習場があった。
左側の写真は2002年の撮影。この道の左右には林があって、キンランやすみれたちが咲いていた。
右側の写真は2011年の撮影。まっすぐ歩いて行けば近隣公園の交差点に至る住宅地の静かな道だ。
目印になるものがなくて、ここが正確に同じ位置なのか微妙なところだが、頭の中の記憶では、おおむね、この辺ではないかと思われる。いや、もう少し学校の近くまで行って撮影した方が良いかも知れない(笑)。
この辺は、それぐらい変貌してしまった。高さもまるで違っているが、手前を削り、奥を埋め立てたのだろう。
ここにには旧石器時代と、始まったばかりの武士の時代、二つの時代(分け方によっては三つ)の遺跡があった。
黒曜石の矢じりが発見されているが、長野県や栃木県産であると言われる。
一方、武家屋敷跡と言われる相当規模の大きい遺構が発掘されている。どちらかというと、こちらに興味があるのだが、具体的な分析結果は出されないまま、一冊の報告書にまとめられて終わってしまった。その報告書のほとんどは、旧石器時代の情報で埋め尽くされている。
大きな長屋のような家が立ち並んでいた時代があり、その跡に林ができて、キンランのようなデリケートな野草が咲き誇るまでの時間を、あっという間に踏みつぶしてしまう「現代」は、いったい、どういう時代なのだろうか。