本村の苗字
「坪井」は地理的、歴史的にどんな位置と正確を持つ地域なのか、少しだけ踏む込んでみるとおもしろいかも知れない。
岩佐さんと齋藤さん
坪井地区には『坪井本村』と言う言葉があるのをご存知だろうか。最近越してきた多くの新しい住民さんは聞いたことがないかも知れない。
具体的にどの位置なのか、文献での言及は見当たらないが、坪井川に沿って古和釜の八王子神社に通じる県道57導線(千葉鎌ヶ谷松戸線)に「坪井」バス停がある地図を見たことがある。寺社が集結しているこの地域は住居表示実施後も坪井町のまま変更がないようだ。この地域が旧坪井村、つまり本村なのだろう。
この一画に近隣の簡易地図(坪井町会案内図)が表示されている。この地図を見ると誰でも気が付くのだが、一帯が岩佐さんと齋藤さんのお宅なのだ。
岩佐家
黒澤誠悦氏の資料に拠ると、岩佐家は吉橋から入ってきた家系と九十九里から入ってきた家系の2系統があるそうだ。その九十九里経由の岩佐家は紀州有田郡湯浅村から招聘された漁業技術者の末裔だという。明確に記載されていないが、本来は湯浅家だったと理解して良いのだろうか。
岩佐家の家紋が『違い鷹の羽紋』という記載が不思議だった。熊本に出向いた時に確認したのだが、この家紋は肥後の菊池一族の紋として有名で、菊地(菊池)氏族の西郷隆盛も使用している。蛇足になるが、忠臣蔵の浅野家の紋も同じ『違い鷹の羽紋』を使用している。
一方、岩佐家の家紋と言えば『傘(からかさ)紋』、『五七の桐紋』が基本で、副紋、替紋にも『鷹の羽紋』は見つけられなかった。そこで、湯浅家の方を調べてみたところ、『違い鷹の羽紋』を使う一族が全国にいらっしゃるようだ。やはり、本来は湯浅家だったと理解する方が素直だと思わる。
齋藤家
やはり、黒澤誠悦氏の資料に拠ると、齋藤(斉藤)家の家紋は『片(方)喰紋』で、一軒だけ『剣片喰紋』の家があるという。
この『片(方)喰紋』を使用している家系はとても多いので、深堀はしないでおく。また、とても多彩なデザインがあるのだが、分かり易い『丸に剣片喰紋』と『丸に片喰紋』を表示してみた。この両者はイメージが少し違うような気がしないだろうか。
カタバミのハートマークは女性的で柔らかいイメージで、「子孫繁栄」の願いを込めた紋と言われるそうだ。武家でも使われており、「武」イメージを強調する目的で剣を加えたのだろう。黒澤氏の資料にも「片喰は根付きの良さから、家が絶えないと家紋にされた」と記載されていた。
[ 歴史散歩(2010/09/27 黒澤誠悦氏の講演より) ]
明治になって、国民の全てが苗字を持つことになったが、それまでも先祖伝来の苗字を持っていたのだろうとしている。ただ、平民は一部の庄屋などだけが公に使用することが許されて、他は「公的に使うことを許されていなかったという言い方もできる」と語っていた。