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地名の由来

 「坪井」、その地名が持つ地理地学的、歴史的意味についても、少しだけ踏む込んでみるとおもしろいかも知れない。

諸説あり

源七山遺跡発掘調査  「坪井」という地名について、ふなばし朝日に昭和57年7月から60年11月まで連載された記事には「古い家が大木の茂みの中の狭い谷間に散在している」というような意味を持つと記載されていた。船橋市史談会編の「ふるさとの地名―船橋の地名の由来を探る―(平成12年3月31日発行)」にもほぼ同様の記載があり、より詳しいので一部を引用すると「(A)坪は小さい・狭いを意味し、狭い谷間にできた集落の意とする説が普及している」とする一方、「(B)井は井戸・泉・湿地等を意味するから、壺穴状の井戸(泉)があったから付いた地名」という別の解釈を紹介している。
 (A)の解釈には「狭い谷間に古い家が散在している」地形に注目して、実際にそのような地形があるとして、西光寺から安養寺に至る県道57号に沿った地域を該当地と考えている旨の補足説明がある。確かに坪井川が桑納川と名前を変えて北上しており、谷状の地形をしている。

源七山遺跡発掘調査  実は、前述のふなばし朝日の古和釜と大穴の記事で、「釜・穴・坪は井戸(水源)を意味する」という記載がある。古和釜。大穴・坪井は隣接する集落であり、坪井だけを別の意味と解する方が不自然に感じられまいか。また、「井」が実は「ゐ=居」であったとの解釈に基づく点についても素直に受け止めるには、まだ我慢が足りない(笑)。
 船橋市史談会の資料の最後に、「(A)説が有力だろうが、坪井中学校北東の谷斜面に古い屋敷址があったり、八千代市寄りの山林に観音堂址があったりして、集落の発祥地が未詳な点が多少気になるところである」と補足している。

 説明が最後になったが、写真は『源七山遺跡』と呼ばれることになった屋敷址で行われた発掘調査(写真は2002年)の様子だ。ご覧の通り、非常に大規模な遺構であることが分かった(これでも一部に過ぎない)。しかしながら、一冊の調査報告書を残して、あっけなく重機が踏みつぶしてしまった。その調査報告書だが、船橋市内の図書館ではまだ確認できず、以前、佐倉市の図書館で目にしたことがある(注:後日、確認の上、無理をお願いして借りることができた)。
 諸説があり、関東以西で知られる「坪井」という地名は小集落を意味する場合が多いとも言われるらしい。多くの情報を考え合わせると、坪井川、駒込川が流れ出して桑納川に名前を変える場所であることからも、(B)説が素直で理解しやすいように感じるがどうだろうか。

 [注] 引用文中、一部の記号が機種依存文字に該当するため、(A)、(B)に変更した。

 

登録[2010/06/27] - 更新[2011/11/21]

写真(2002/07/07) : 林の樹木を伐採して露出した。林道の左右に展開しており、一画に更に大きめの居住跡らしき遺構も見られた。