HOME入口へ町のインフラ ≪ 船橋日大前駅

船橋日大前駅

小さな町の生活に役立っている目立たないインフラストラクチャ、その一端を見なおしてみると、意外におもしろいかも知れない。

ベッドタウンのふたつの駅舎

 町のインフラと銘打っておきながら、交通機関の話が出てこない(笑)。今回は駅の話題にしてみた。勿論、坪井には一つしかない駅、東葉高速鉄道「船橋日大前駅」である。

船橋日大前駅境内 船橋日大前駅は平成8(1996)年の春に開業した。当時は駅舎は一つしかなかったが、8年後に東口の駅舎ができて、現在では結果的に西口ということになっている。見ていない方には分かり難い可能性があるが、地上部で見ると離れて独立した建物だが、地下部で繋がっている訳だ。
 なかなか洒落た西口駅舎は半地下のような構造、全面ガラス張りで昼は照明が要らないほどに明るい。地下には朱色の丸柱(奥は乳白色の丸柱)が並んで、平安神宮の外拝殿を連想させる。一方、外観は幾何学的というのか、巨大な装甲車のような姿をしている。
 この独特なデザインは、第1回「関東の駅百選」に選ばれたと大宣伝されていた。調べてみると、他にも鉄道建築作品賞運輸省鉄道局長賞、千葉県建築文化賞を受賞しているらしい。

 実は、当初、「(仮称)坪井駅」ができると説明されていた。それをキッカケに越してきたという住人も多いことだろう。ところが、「船橋日大前駅」になるという話が聞こえてきた。『そんな長ったらしい名前は困る。第一、日大って、どういうことだ!』と驚き、不審に感じたものだ。その日大理工学部で説明会があるというので拝聴した。すると、土地もデザインも(もしかしたら、未確認だが建築費も)日本大学が負担しているというではないか。そりゃあ、ごもっともな話である。それで学校名などの「冠」が付かなかったら、むしろ気持ちが悪い。
 なかなか優れたデザインの駅舎と土地を提供していただいたのだから、喜んで長い名前を覚えさせていただくことにした。ただ、友人のアメリカ人には、この長い名前が極めて不評なままである。

 開業の翌年あたり、新しい町の開発が進みつつある様子を文章にした方がいて、そこにおもしろい表現が記載されていた。記憶なので、概要のみを紹介するが『この駅は新しい町にも古い町にも面していない』というものだった。新しい住宅が立ち並んでいるのは、この駅舎の裏側であり、古い家々は向かって左奥にある。新しい町には、一応、舗装道路が通っているが、古い町には左側の階段を登って裏道に抜けるように回り込まなければならず、自転車なら担ぐことになる。要するに、日本大学理工学部の正門に面しており、ロータリーは薬学部への道に回り込むためのものなのだ。


船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅
東口へ通じる道と夕日を映す駅舎 古い町へ回り込む通路の階段 明るい日差しが差し込む構内 中2階「ステーションギャラリー」

船橋日大前駅境内  一方、こちらは新しく追加された東口の駅舎である。白いとんがり帽子がなかなか可愛らしい。
 まさか、こちら側まで日本大学のデザインではないのだろうと思う(未確認)。では、こちらの駅舎はどこを向いているのかと興味を持った。そして困ったのだが、この駅舎の場合、正面がどこなのか分からない(笑)。普通に考えれば、乗客が入っていく入口がある面が正面かも知れないが、何か横っちょに口を開けている感じがしてならない。こちらも天井に天窓が開いているような構造で、西口ほどではないが、昼は照明がなくても余り困らない程度の明るさがある。

 当初の計画では、この駅舎周辺に背の高いマンションが林立するはずだったそうである。隣の八千代緑が丘駅の周辺をイメージしたら良いのだろうか。だが、近隣住民の反対が強くて、実現することなく業者が撤退したらしい。それが、結果として良かったのか悪かったのか、少なくても、ご覧の通り、駅舎周辺の見通しはすこぶる良好である(注:その後、立派で結構背の高いマンションができてしまった)。
 この近隣住民の反対の話だが、近隣住民の一人でありながら、全く承知していない。実は、町の名前についても「美し学園・芽吹の杜」に相応しい名前に変わるはずであったが、やはり、近隣住民の反対で「坪井」という名前のままとなったそうだが、これも全く承知していない。いったい、どこで話し合いがあったのだろう。
 平成の大合併なるもので、ひらがなの地名が増えたり、歴史のある地名が多く消えたという。それはそれで疑問があるが、この新しい町の場合、歴史といっても駅の周辺は長く鬱蒼とした「坪井の森」だった訳であり、歴史はこれからできていくのである。新しい住民を混じえた前向きな意見交換があっても良かったのかも知れない。

 結果として、この町は完全なベッドタウンである。大きな建物は数少ない。人々の喧騒からも離れた別世界であり、一部、幹線道路の交通量が多くて違和感を与えているようなものだ。病院も多く、買い物にも困る訳ではない。広い公園や公民館もできたし、船橋アリーナで多彩なイベントもある。これはこれで住みやすい町なのだろう。


船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅
駅名があるが正面ではないだろう 入口側(余りパッとしない) ロータリーとタクシープール 天窓から陽光が挿し込む改札

 さて、東口には広いロータリーとタクシープールが備えられている。駅は勿論のこと、町としても完成に近い状態にあるだろう。ところが、バス路線は存在していない。正確には、一時的に京成バス系列の路線が存在したらしいが記憶していない。タクシーが並んでいることも稀である。このロータリーから幹線道路に出る交差点に信号機があるのだが、いつも虚しく色を変えるだけで、真に必要性があるのかと疑問に思う者も多いだろう。
 早々に判断して良いのか意見が分かれそうだが、現状を見る限り、当初構想とは異なる属性の町ができ上がってしまったのだろうと思われる。人が歩く流れ、つまり、導線の設定も結果として間違ってしまっているらしい。信号機のニーズという視点に立てば、東口と西口を直線で繋ぐルートを歩く人が最も多い。ところが、そこには横断歩道はなかった。現在は、例の近隣住民の声に動かされて横断歩道だけは設置されたが、既存の信号機を移動する訳にもいかず、路面に白い線を引いたに過ぎない状態だ。歩行者を見かけて停車する車両は極めて少なく、危険が回避できているとは考えにくい。


船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅 船橋日大前駅
幹線道路方向から見た駅舎 遠く駅舎の東口を見上げる 周辺は駐車場だけでスッキリ! 夜、満月が近い(合成です)

 最後におもしろい話を一つ。西口は、半地下の改札を入って、ホームへエスカレーターで降りて行く。一方、東口を出ると、新しい町に更に降りていく階段がある。どんどん降りていく・・・?東葉高速鉄道は西口の辺りまでは地下鉄のようなものだが、東口から高架の上を走行する。ここは坪井川が流れる湿地、つまり低地だったことが判る地形構造なのである。

 

登録[2012/01/06] - 更新[2020/12/05]

写真(2010/11/07、2011/07/10、2011/12/25、2012/01/03)